「黒騎士物語」についての勝手な考察 その3

以下の考察は、私が「黒騎士物語」の劇中から読み取れる情報を基に勝手に考察しているものです。御意見、御指摘、御反論、大歓迎です(笑)

○最後の章の黒騎士中隊の車輌

『黒騎士中隊、突撃』を作成にするにあたって、Blogで考察していたものをブラッシュアップして記事にしています。

以前から気になっていたのが、このケーニッヒ・ティーガーは、一体どこからやってきたのか?もしくは、どこの部隊のものだったのか?ということでした。

「黒騎士物語」全編の中で、最後の章だけがラストのバウアーの墓標から、唯一、1945年5月9日とはっきり日付が特定できるので、この時期に東部戦線で(もはや、東部戦線も西部戦線もなくなっていると言えますが(^^;)ケーニッヒ・ティーガーを有していた部隊は、Bのセリフから、おそらくSS第503重戦車大隊ではないかと推測しました。(そうすると、SS修理中隊というのは、第11SS義勇装甲擲弾兵師団「ノルトラント」の部隊でしょうか)

そして、もう一台のパンターも武装SSの部隊のものだとずっと思ってましたが、私の乏しい知識と資料では、ケーニッヒ・ティーガーがSS第503重戦車大隊所属だとすると、同時期の同エリア付近の武装SSでパンターを所有していたであろう部隊がどうしても見当たりません。
SS修理中隊が、武装SSも国防軍も区別なく修理していて、国防軍のパンターを預かっていたと考えればいいかもしれませんが、よくよく劇画を見直してみると、おそらく時間が戻ってるAのセリフでバウワーが、「まだ1台、動く戦車があります」と言っています。
これは、
 ・前章で最後までクルツの乗車車両の02号車が、残っていたという点
 ・@のセリフで「こいつはどうした」と言っていて「こいつら」と複数形になっていないので、「こいつ」とはケーニッヒ・ティーガー1台のみを指していると考えられる点
というのを考慮してして、パンターは、SSから譲ってもらったものではなく、黒騎士中隊の最後の車両とみなした方がいいと推測しました。

ケーニッヒ・ティーガーの塗装とマーキングですが、まず塗装は、他の画からも三色迷彩ではないかと推測しました(ドラゴンのモデルもそうなってますし(^^;)
マーキングなんですが、「重戦車大隊記録集2」を見直していて記述があったのですが、戦争末期、車輌番号も国籍マークも付けてない車輌がかなりあったようで、元のマーキングを消したり、削ったりする必要がなかったと考えられます。
当然、車輌全体の塗装をやり直している暇はないであろうという推測から、Cの兵士は、やっぱり砲身にキリングマークを付けてると見た方が妥当かと思われます。