ハインツ・グデーリアン (Heinz Guderian)

1884年6月17日、東プロイセン・クルム生まれ。最終軍歴は陸軍上級大将。第一次大戦中は、陸軍参謀本部の一員として参加。敗戦後のベルサイユ条約による軍縮下でも陸軍に留まる。弱体化した軍をいかに建て直すかという課題の中で、グーデリアンは、イギリスのバジル・リデル・ハート大尉、J・F・C・フラー大佐の主張の影響を受ける。そして、戦車と自動車化された歩兵の部隊の編成が適していると考え、自らの戦術理論をまとめた「戦車戦学校」を著す。しかし、これは保守的な軍人達に受け入れられることはなかった。ところが、彼の戦術理論に大きな興味を示したのがアドルフ・ヒトラーであった。1937年の再軍備により新設された装甲部隊の指揮官に任命される。

第二次大戦開始時、対ポーランド戦においてグーデリアンは、第19軍司令官として6個装甲師団を指揮。電撃的な早さでポーランドを攻略して自らの理論を立証した。
1940年の対フランス戦では、
第19装甲軍団を指揮し、連合軍をダンケルクまで追い詰め、大将に昇進した。

1941年6月22日に開始された対ソ連進行作戦「バルバロッサ」においては、中央軍集団・第2装甲集団(後に、第2装甲軍)を指揮し、ミンスク包囲戦、スモレンスク包囲戦、キエフ包囲戦において大戦果を挙げる。その後、11月にモスクワ攻略戦にも参加したが、冬将軍の到来で、作戦の中止をヒトラーに具申して、解任されている。

1943年スターリングラード戦の敗退後、再び復帰して参謀長になるが、ドイツ敗戦直前の1945年3月に再びヒトラーに罷免された

アメリカ軍の捕虜となったが、1948年6月に保釈後は、アメリカ陸軍機甲学校で講義を行ったり、回想録を執筆して余生を送った。

1954年5月14日西ドイツ・シュパンガウで死去。

サイバーホビーのハインツ・グデーリアンです。箱絵にあるように1940年の対フランス戦当時の設定のようです。(箱絵の顔の写りがちょっと怖い(^^:)グデーリアンというと、マニアでは超有名でしょうが、さすがに1/35サイズだと、キット化されているのは聞いたことありませんね・・・

参考文献

文林堂刊

「グラフィックアクション WW2 ドイツ軍人プロファイル」