オットー・スコルツェニー (Otto Skorzeny)

1908年6月12日、オーストリア・ウィーン生まれ。最終軍歴はSS少将。ヒトラーのトラブル・シューターとも言われ映画顔負けの特殊作戦をいくつも指揮し、「ヨーロッパで最も危険な男」と呼ばれた。38年のドイツのオーストリア併合後に空軍に志願したが、体が大きいため不採用。その後、親衛隊戦闘部隊に入隊、43年に大尉としてSS特殊部隊「フリーデンタール戦隊」の編成と指揮を命じられる。主なものに43年7月のイタリアの国王によって解任され幽閉されたムッソリーニを救出した「アイヒェンラウプ作戦」、44年10月の枢軸国であるハンガリーの連合国に対する単独講和を阻止するため、摂政であるフォン・ホルティ提督の息子を誘拐し、提督の邸宅を制圧し講和を阻止した「パンツァーファウスト作戦」などがある。戦後は、戦犯として抑留されていたが、1948年にスペインに脱走し実業家として成功。1975年にマドリードで死去。

特殊作戦のエキスパートとして「ヨーロッパで最も危険な男」と呼ばれたり、学生時代の決闘で負った顔の傷で凄みのある容貌であるが、軍歴としてはダーティーな部分がほとんどない人物である。戦後のニュールンベルク裁判でも、戦犯の容疑は特殊作戦を指揮したこと。公判で「もし本官が有罪だとしたら、戦争に参加した連合軍の降下部隊およびコマンド部隊の全指揮官も有罪ということになる」と主張、連合軍側陪審員の賛意を得ている。

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ドラゴンサイバーホビー限定のオットー・スコルツェニーです。箱絵の背景にシュトルヒが描かれているように、ムッソリーニ救出作戦(アイヒェンラウプ作戦)の時の姿で、空軍服を着用、顔は傷まで再現されてます。ドラゴンの1/6フィギュアは、まず1/35のキットを発売して(もしくは過去に発売されたものから)その中からチョイスして1/6フィギュアとして発売するというのがほとんどのパターンです。パイパースコルツェニーなどのような場合は、さらに1/16フィギュアキットが発売になってから、1/6フィギュアが発売になってます。(1/16フィギュアキットにチョイスされたのは、すべて1/6フィギュアが発売されているようです)パイパーの場合、人物画は1/35、1/16、1/6とすべて同じですが、スコルツェニーの場合、下記の1/35キット「グランサッソ・レイド」(一番左がスコルツェニーでしょう)からなんでしょうが、1/16と1/6フィギュア用の人物画が同じで、1/16フィギュアキットを発売時に新たにスコルツェニーを描き直しているのがわかります。

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参考文献

文林堂刊

「グラフィックアクション ゲルマンの無敵戦士 武装親衛隊の奮戦!」
「グラフィックアクション WW2 ドイツ軍人プロファイル」